■ 親が幼稚園に迎えに行くとソワソワする
■ 友だちの輪に入れない ■ 自信がない
■ でも、聞き分けのない子を叱るのは母親のつとめですよね。
■ だったら、どんなふうに叱るのがいいんですか?
■ でも、同じことをまたやってたら、つい腹が立ちません?
■ 説教ではなく、注意、ですかぁ?
■ でもねえ、私って条件反射で叱ってしまうんです。
■ ただ、どうしても叱り言葉が口をついて出てくるんですよねぇ。
■ 10回に1回? それなら私にもできそうかなぁ・・・・・ 軽いノリで、今日から始めてみます!
子どもが何でも親の言うことを聞くのが、“ええことや”と、佐伯さんはカンチガイしてられますね。
でも、佐伯さん、幼稚園くらいまでの子どもが大人の言葉をちゃんと理解するというのはとても難しいことなんですよ。難しくいうと「言語概念化能力」というんですが、幼稚園の子どもには言葉を把握する力が、まだできてないんです。だから、子どもが親の言うことをよく聞くということは、もしかすると言葉ではなくて、“恐怖”で言い聞かせているのかもしれませんよ。
「えっ、そんなことしてないわ!」
という顔をしてますね。でも、佐伯さんは“恐怖”というプレッシャーを子どもにかけていませんか?
親は身体的にも大きいので、上から見下ろして叱られると、子どもにとってはすごくプレッシャーになるんですよ。だから、さんざん叱ったあと、最後に「わかった?」と聞くと、たいていの子どもは「わかった」とうなずくんです。というか、そう答えるしかないんですね。
もちろん、いけないことをしたときに叱ることは大切ですよ。
問題は叱り方です。「そんなことする子、キライ!」なんて言ってませんか?
大人でも「お前、遅刻してくるんやったら、もう会社に来るな!」なんて言われたらショックですよね。
「キライ」「来るな」──これは相手の存在を否定する言葉なんです。ほかにも「押し入れに入れるよッ」「外に出すよッ」「出ていき!」なんて“否定語”があります。
そんなふうに言われると子どもは自分の存在を否定されているように感じて、ただただ恐くておびえるようになります。それは自分の居場所がなくなってしまうという恐怖なんです。
そういう“否定語”を使った叱り方は、まさに「居場所の剥奪」です。子どもは恐いから言うことを聞くんですね。自分の居場所がなくなるという恐怖を、まるで嵐が過ぎ去るのを待つように、ただじっと耐えるしかないのです。これでは子どもは「親の顔色を見る子ども」「いつもビクビクした子ども」になってしまいます。
ぼくの娘の例を話しましょうか。3人の子どものなかで一番叱ったのが長女なので、彼女のことを話しましょう。
ぼくの長女は「ゆか」という名前で、未熟児で生まれました。だからほんとに大切に育てたつもりですが、彼女には、こんなふうに叱ってきました。
ゆうちゃん、パパはな、ゆうちゃんが大好きや。
お前が一番先に生まれたし、大切に思ってるで。
そやけど、部屋を見てみ?
ちっとも整理整頓できてへんな。
なんとかしーや。
ポイントは「行動」と「存在」を分けることです。子どもの「存在」を認めたうえで、しかし、「行動」については「○○しなさいよ」とうながしてみるのです。もちろん叱られたと思えば子どもの心は傷つきます。不快です。でも、自分の「かたづけない」という「行動」が悪いということはわかるし、自分が「愛されている」「大切にされている」こと、ここにいてもいいのだと「存在」が認められていることは感じられるのです。
そら、そうですよね。
子どもって、何度叱っても、また同じことをやってしまいます。それを黙って見てなさいと言われたら、お母さんはストレスがたまってしまいます。それに、どんな小さなことでも、まあいいかと見逃していくと、どんどんエスカレートしていって、子どもにもよくありません。
では、どうすればいいか。
表現方法に気をつけてください。つまり叱るのではなく、注意する。そんな気持ちで接してあげたらどうでしょうか。
あ、○○ちゃん、ご飯こぼれてるよ。
お部屋、かたづいてないよ。
挨拶、ちゃんとしようね。
そんなふうにうながしてあげればいいんです。大切なことはつねにいい刺激をあげること。そして「ここにいていいんだよ」(It's O.K. to be here. )というメッセージを伝えること。このメッセージがなくなると、注意が「説教」になってしまいます。
子どもが育つためにはからだの栄養も必要ですが、“心の栄養”も必要です。それが「刺激」です。刺激にも、「快」と「不快」の2種類あります。この刺激がないと生きていけないことを、子どもはよく知っています。だから、快であれ、不快であれ、とにかく子どもは親から刺激をもらおうとします。
このときに子どもがいいことをして、「上手にできるようになったねえ」「おりこうさんやね」と、自分の行動を認めてもらえる関係になるといいんです。「I am O.K. You are O.K.」なので、これを「O.K. O.K.」の関係といいます。逆に「あんた、だめよ」と否定すると、「I am O.K. You are not O.K.」の関係になってしまいます。
こういう関係が続くと、子どもはたとえマイナスの刺激でも、それを進んで受け取ろうとします。たとえば父親との関わりが少ない子どもは、父親の前でわざと悪いことをして叱られるということがあります。たとえ叱られるようなことでも無視されるよりはマシだと思うのですね。叱られることで父親との関わりがもてて、愛を感じることができるからです。
ただ、こういうマイナスの刺激が続くと、自分はだめなんや、悪い刺激をもらうのが自分にはぴったりなんやという解釈を始めます。ついには、いい刺激が2で、いやな刺激が8、というふうに、快と不快の刺激のバランスまで自分で決めてしまいます。これを「幼児決断」というふうに呼びます。
よく「三つ子の魂百まで」といいますね。こういう幼児決断をしてしまうと、自分は不快の刺激をもらうのが普通だと思ってしまいます。そうすると叱られることが無意識に身についていきます。どんどん悪いことをして叱られる、不快の刺激をもらう、また、悪いことをして叱られる、不快の刺激をもらう。そのくり返しで「叱られる達人」になってしまうのです。これが大人になるまで続くと、いつも失敗ばかりして怒られる人間になります。
お子さんが、そんなふうになっていいわけないですよね。だから、叱り方に気をつけてほしいと思うのです。
いつも叱り続けているお母さんに多いパターンですね。子どものやることなすこと、すべて気に入らなくて、ついつい口に出して叱ってしまいます。
でも、安心してください。佐伯さんだけじゃないですよ。みんなそうなんです。ぼくだって、そういうときはありました。
だから、まず自分がどんなふうに子どもに接しているか、気づくことが大切なんです。佐伯さんはいままで無意識に、子どもをだめにする叱り方をしていたのです。知らずに他人の足を踏んでいるようなもんですね。だけど、気づいたら自分の足をどけますよね?気づいたそのときから変えればいいんです。
そんな急に変われと言われても、ムリ!
その気持ちもわかりますよ。でも、変えたいと思ったら、方法はいくらでもあるんです。どうしても条件反射で叱ってしまうなら、叱ったあと、子どもさんに謝ってあげてください。
そんなこと、親の威厳がなくなるからできない?
それじゃ、できることから始めましょう。夜、子どもが寝ている間に、その無邪気な寝顔に対して謝るのです。それならできるでしょ?
続けていれば、そのうち昼間でも面と向かって謝ることができるようになりますよ。
親だって悪いことをしたらちゃんと謝らなければならないということを示してあげれば、それが教育になります。
厳しく叱りすぎたと思えば、素直に謝ればいいのです。
たとえば、叱る代わりに、目の前で起こっていることを言葉に出して伝えてみてはどうですか?
あっ、○○ちゃん、ご飯をこぼしたよ。
あ、テーブルにひじをついてるよ。
あるいは質問形式にするのもいいですね。
なんでそんなことしたん?
なんでこぼれたと思う?
質問すると子どもは考えます。自問自答する子になります。叱る代わりに、子どもを賢く育てる、いい方法だと思いませんか?
えっ?それでも、ついつい叱ってしまう?
それなら10回のうち1回でも、叱るのをやめませんか?一気にすべてを変えるなんて、だれにもできません。「百日実践」といって、何でも身につくには100日かかると思ってください。それが本当に完成するには1000日。「石の上にも三年」「千日回峰」ってありますよね。いまから始めて3年かかるんだというくらいの気構えで、取り組むといいですよ。
まず、変えたいと思ったら、そこがスタート地点。変えたいという気持ちを大切にしてくださいね。
10回に1回? それなら私にもできそうかなあ・・・・・・軽いノリで、今日から始めてみます!
人間にとって「刺激」は、幼児であれ、大人であれ、非常に重要です。人間は刺激がないと生きていけない動物なのです。
たとえば刑務所の独房。音はなくて、目に入る光は一定、臭いもしません。五感への刺激を断たれることで、人はだれしも恐怖を感じます。
もしも、赤ちゃんにミルクを与えるときに、いつも目をそらして与えたらどうなるか。恐ろしいことに脊髄が萎縮してきます。これによって神経破壊が起き、発育不全、知的障害になる可能性も出てきます。
それほど、刺激がないという状態は人間にとって害のあることであり、恐怖に感じることなのです。だから子どもは、たとえ悪い刺激であっても欲しがるわけです。
貧しい人々のために生涯にわたって献身的な活動を続けたマザー・テレサは、「愛」の反対は「憎悪」とは言いませんでした。愛の反対は「無視」「無関心」と言ったのです。子どもへの無関心・無視は、刺激を与えないこと。これは絶対にいけません。
つい叱ってしまうというお母さん。あなたはそれだけまだ子どもに関心も愛もあるのです。叱るというのは子どもへの愛ゆえの行為なのですから、いいお母さんになる資格は十分ありますよ。
これからもっともっといいお母さんになれるのだと信じて、子どもにいい刺激を与えられるよう少しずつ始めてみてくださいね。









